36歳の反抗期☆

いい人でいるのはもう辞める。今まで人の顔色を伺ってきたけど、自分のあるがままに生きる。そんな遅い反抗期を綴っていきます⭐️⭐️⭐️

転職、そして魔界へ

Aさんと衝突してから2ヶ月後、私は3年間いた職場を辞めました。


理由はAさんもそうですが、他のところにもありました。


わたしのいた病棟は、年間約100名の患者さんが亡くなる所でした。


仲が良くて、色々おしゃべりしていた沢山の患者さんが、次第に症状が増して、亡くなっていきました。

(もちろん穏やかに旅立つ方もたくさんいらっしゃいます。)


私は次第に、顔なじみになった患者さんが次々に亡くなっていく事に耐えられなくなりました。


過剰に感情移入した私が医療者としてダメだったのだと思いますが、もうやれない程にエネルギーが空っぽになっていました。



そして少し休憩したのち、新たな転職先が見つかり入職するのですが、ここがもう見事に魔界でした。


患者さんを看取る悲しみからしばらく離れたいと思い、個人開業のクリニックを希望しました。


そこは医師、看護師、栄養士、事務員さんの10名ほどの小さなクリニックです。

 

看護師は2人いて、


看護師B…仕事はできるがとにかく性格がキツイ。お化粧バッチリの美人。


看護師C…好きな仕事だけをやりたがる自己中。悪役を演じてるときの西田敏行に似てる。



…のなかに混じる事になりました。




…が、もうしょうもないくらいに当たられました。


BとCはお互いに嫌いなようで、その八つ当たりを受ける事になります。


仕事中はピリピリ不機嫌なBは、容赦なく周りに当たり散らします。


Cは意地悪で、周りを巻き込み、ターゲットを孤立させます。


本当に嫌でしたが、後から気が合う看護師が入ったり、心配してくれる栄養士さんや事務員さんがフォローしてくれたりして、なんとか乗り切り過ごしていました。




しかしある朝、母方の祖父の急変を知らせる電話が入ります。


出勤前だったので、リーダーのBに、身内が急変したので休ませてくださいと連絡します。


するとBは、

「院長に自分で伝えて下さい」と言うと電話を切りました。


それはとても冷淡な口調でした。


心配してほしい訳じゃないけれど、身内が亡くなるかもしれないショックな時にこの対応は、なんだか目の前が暗くなるようでした。



祖父はそのまま亡くなりました。


クリニックに事情を連絡すると、数日休んだら?と院長は言ってくれましたが、更に休むとBが怖いので大丈夫ですと断りました。


翌日出勤すると、Bは何も言ってはきません。

代わりにCが、「なんか暗い顔してない〜?どうしたの?」と笑いながら聞いてきました。


事情は知ってるはずなのに。



もうだめだ、ここももう限界だ。

 


4年いましたが、辞める事にしました。



最後にBとCに文句を吐き出してから辞めようと思いましたが、前の病院でのAとのやりとりを思い出し、文句を吐き出した所でスッキリなんかしないし、自分の後味が悪くなるんだったと思い直して、静かに辞めました。